生活はシンプルにしたいけれど、デザインの好みは全然シンプルではないという話
こんにちは。
気づいたら9月になっていました。
お天気がなかなか安定しませんが、もう秋ですね。
さて、今回はとても個人的な話をします。
「シンプルな生活が送りたいけれど、わたしの好きなテイストは全然シンプルじゃない」という話です。
*スポンサードリンク*
「シンプルな生活」と「デザインのシンプルさ」は違う
「キッチングッズはすべて無印」
「持っている洋服は全部無地」
「インテリアはナチュラルテイスト」
みたいなのは、「シンプルライフ」ではなく「シンプルなデザインが好きな人のライフ」だと思うのです。
もちろんデザインがシンプルだからこそ、「掃除の手間がかからない」や「コーディネートに時間がかからない」などの副産物がもたらされることは多いにあるとおもいます。
実際に、無駄を省いたシンプルなデザインのものは使いやすいです。
無印良品の商品はわたしも好きです。
ただ、当たり前のことかもしれないのですが、「そういうシンプルなものをで周囲をかためている=シンプルライフを送っている」ということにはならないと思うのです。
一見シンプルに見えるお部屋であっても、実はその「シンプルなグッズ」の中に不用品がたくさん含まれているかもしれません。
一方、なんとなく雑然として見えるお部屋であっても、本人にとってはそこにある全てが必要であるという場合もあるかもしれません。
(※もっとも、雑然としすぎているお部屋に不用品がひとつもないというのは考え難いですが……)
つまり、「所有しているもののデザインのシンプルさと、シンプルな生活とは、単純にイコールで結ばれるものではないのでは?」ということが言いたいのです。
親和性は、あるとは思います。
ニアイコール程度には、近しいかもしれません。
それでも完璧にイコールではないと思うのです。
なのでわたしは「シンプルな生活が送りたいな」と思ったとき、「シンプルなデザインのものだけを所有したいな」とは思いませんでした。
自分の好みに反するからです。
ものが少なくなっても、シンプルには見えないであろう部屋と自分自身
わたしのお部屋のカーテンは、赤です。
さらに言えば薔薇柄です。シックな雰囲気が気に入って選びました。
わたしのクローゼットに入っている洋服は、レースやフリルやリボンのついたものが多いです。
さらに言えばワンピースが多いので、枚数の割りに場所を取っています。
……このように、わたしの好みはおおよそ「装飾過剰」気味です。
インテリアも洋服も、アンティークやレトロな雰囲気のものが好きです。
洋服も小物も家具も何らかの装飾があるものが好きなのです。
機能性と見た目なら、見た目を重視して持ち物を選ぶ傾向があります。
わたしが「シンプルな生活を送りたい」と思っていることは、基本的に周囲の方々は知りません。
きっと口にしたら「それじゃあ、そういう服装やめるの?」と言われるような気がします。
持ち物の数が減っても、仮に半分になったとしても、きっとわたしはシンプルな生活を送っているようには見えないのではないかなと思います。
でも、それでいいです。
「誰か」にとっての「シンプル」と、「わたし」にとっての「シンプル」は違うから。
以前にもちらりと書いたかもしれませんが、結局、
「自分にとってシンプルな生活」
「自分にとって暮らしやすい環境」
「自分にとって心地よい生き方」
これらが達成されれば良いのだというだけのことなのだと思います。
「○○さんが持っていた便利グッズだからわたしも」とか「××さんはノマドワーカーだからわたしも」とか、そういうのではなく。
憧れたり目標にしたり参考にしたりするのは大いにありですし、わたしもしています。
けれど最後は自分がどうしたいか、それときちんと向き合うことが大事なのではないかと思うのです。
もっとも、こういうことはシンプルライフに限ったことではないのですよね。
「みんなが大学に行くから自分も」とか「友達が結婚したから焦る」とか「新卒で採用されないと駄目だって聞くから就活しないと」とか。
何というか、その分野だとかジャンルだとか世界だとかの中にある「あたりまえ」みたいなものに、つい引っ張られてしまいそうになるトラップのようなものが、この世界にはたくさん仕掛けられているように思えるのです。
何でもそうですが、自分で考えること。自分はどう考えていて、どうしたいと思っているのかを知ること。その上で行動すること。
それが大事なのかなと思ったりしている今日この頃です。
なので自分自身が「これがわたしなりのシンプルなライフなの!」と思っていれば、それは例え全くシンプルではないものに見えたとしても、本人にとっては紛れもなく、シンプルなライフなのです。
▼クリックしていただけると更新の励みになります!
*スポンサードリンク*